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下工弁慶号

仕様 生まれと歩み 昔の写真 30年ぶりに 下津井電鉄 70周年で 柳井で走る
桜々フェスタ 公民館で 市に寄贈 展示格納庫 北勢線へ 最新情報


★昔の写真


懐かしい一枚(昭和14年の「下工弁慶号」)


校庭に展示されていた当時(昭和46年頃)の「下工弁慶号」の写真

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★30年ぶりに走った「下工弁慶号」



・・・昭和56年10月9日、山口県立下松工業高校の
      創立60周年記念事業で30年ぶりに走った「下工弁慶号」

・・・30年ぶりに走った「下工弁慶号」を紹介した
              当時の新聞記事を抜粋しました・・・

SL「弁慶号」(昭和56年6月28日「毎日新問」より)

下松市の下松工業高技(竹中清校長)は、10月に迎える創立(60周年記念式典で、同校に保存されているSLの“弁慶号”を30年ぶりに走らせようと、解体、整備が着々と進んでいる。このSLは、明治11年の米国製。動輪は、2軸で、高さ2.5メートル長さ4.5メートルのミニ型。徳山市にあった旧海軍の練炭製造所(のち海軍燃料廠)で昭和9年まで石炭運搬用に使われていたのを“退役”の後、下松工業高校が譲り受けて実習に使っていた。
 戦後の昭和26年秋、運動会でマキをたいて走ったのを最後に、スクラップされかかったのを「下工名物の大切なもの」というOBたちの思いを尊重、昭和36年から正門わきに展示されていた。

 「60周年の区切りに、もう一度走らせたい」というOB教職員の声で、この3月から点検作業が始まった。30年間も風雨にさらされ、なくなった部品も多かったが、概械科の先生4人が中心になって解体、約69万円をかけてボイラーの修理や部品づくりもして化粧直しも終わり、22日から組立作業に入った。レール50メートル分はすでに建設業者を通じて確保してあり、10月9日の式典では、弁慶号が走るのをOB、生徒も待ち構えている。


昭和56卑8月15日 「朝日新聞」 青鉛筆欄より)

SLばやりの昨今だが、山口県下松市の県立下松工業高校(竹中清校長)では、明治生まれの軽便蒸気機関車の“再生”めざして、機械科の先生4人が、懸命の修復作業中。
 鉄道史研究家・臼井茂信さん(62)=千葉市在=の調査では、米国・ポールドウィン社製を模した明治7年生まれの国産。ゲージ(軌間)が国鉄の機関車より30センチ狭く、ボイラーの上にある鞍(くら)型のサドルクンクが特徴。同型が7両つくられたが現有するのは、この1両という。同校で昭和9年、徳山の旧海軍燃料廠(しょう)から教材用に譲り受けた。
 26年、運動会で走ったきり“休眠”していたが、生徒、OBの愛着が強く創立60周年の今年1月に“復活決定”・・複清流定”すでにほぼ修復を完了。近く20メートル程度のレールで試運転、10月の同校創立記念日に30年ぶりのお披露目をする。臼井さんは「全国の鉄道ファンにぜひ紹介したい」。


・元祖SL「弁慶号」復活 30年ぶりに下松工で
      
(昭和56年10月2日 「毎日新聞」夕刊より)

 30年ぶりに懐かしの汽笛一山口県下松市の県立下松工業高校(竹中清校長、869人)に保存されていたSL「下工弁慶号」が復活。創立60周年の9日、グランドを走る。整備もすみ、ただ今“本番”目指して、試運転中だが、力強く吐き出す蒸気に、復活に取り組んだ先生、生徒はうれしそう。このSLは明治41年の米国製で762ミリゲージ用。動輪は二紬で、高さ2.5メートル、幅1.5メートル、長さ3.5メートルのミニ型。徳山市の旧海軍練炭製造所(後の海軍燃料廠)で石炭運搬用に使われていたが、昭和9年、“退役“。同校が譲り受けて、生徒の実習用に使われていた。しかし、26年秋の同校運動会でマキをたいて走ったのを最後に、スクラップのピンチにさらされながらも「下工名物の一つ。OBには思い出のものだし、残してほしい」との強い意見で、36年から正門わきに風雨にさらされながら展示されていた。
 今年初め「60周年を機会に、もう一度走らせてみたい」とOBの聞から希望が続出、現役最後の運転の際に同校教諭だった竹中校長や機械糾の藤森友友則教諭ら4人も賛同、点検、整備作業に取りかかった。作業は放課後も行われ、生徒等も自主的に加わった。
 30年間も風雨にさらされていたため車体はさびついてガタガタ、シリンダーやボイラーの破損もあり、約60万円かけて部品づくりから始め、さらにSLがけん引する16人乗りの客車も整摘、9月中旬から組立作業をして見事に完成、1日から試運転に入った。レールは建設業者のトロッコ用約90メートルを借用、試運転では石炭をたき、客を乗せて黒い煙、白い蒸気をはきながら順調に走って大成功だった。9日の記念式典当日は、生徒、OBの見守るなか、午前11時半からグランドを走る。


・「弁慶号」よみがえる下松工高60周年記念に展示物を大修理
           (昭和56年10月9日 「山口新聞」より)

 学校の展示物になっていた蒸気機関車が、先生と生徒とによって修復され、30年ぶりに白い煙をはく。この機関車は、県立下松工高の「下工弁慶号」。弁慶号は明治40年に誕生、徳山の旧海軍燃料廠で石炭運搬用に使われたのち、同校が昭和9年に譲り受け、動かなくなった26年まで、機械実習用とし活躍していた。その後は、校門のそばに展示されていた。
 同校の創立60周年を記念して再び動かすことになったもので、修復作業は今年1月から機械の先生4人が中心になって始め、このほどようやく完成、全長的5メートしかない小型SLだが、サビを落とし、ペンキを塗り替え、昔どおりの堂々たる姿に。
 今日9日の60周年記念式典のあと、グランドに約90メートルのレールを敷き走らせることになっており、竹中校長は「卒業生に喜んでもらおうと思って修復させた。いい記念になるでしょう」と話している。


〈昭和56年10月10日「中国新聞」より〉

 下松市大海町、県立下松工業高校(竹中清校長 860人)のシンボルとして校門わきに保存されていたSL弁慶号が職員や生徒らの手で修復され、創立60周年記念式典が聞かれた9日、同校グランドで30年ぶりに走った。
 この朝6時ごろからボイラーを炊いて晴れの出番を待ったSLは、記念式典が終わった11時から、グランドに敷かれた長さ100メートルのレ−ルの上を、汽笛を鳴らし、白い蒸気を吐きながら威勢よく走った。約350人の来賓も代わる代わる試乗を楽しみ、学校は終日、SL人気にわいた。このSLは米国のポールドウィン機関車をモデルに、明治40年、旧東京石川島造船所で造られた。長さ4.5メートル、幅1.53メートルのサドルタンク式SL。「旧徳山海軍練炭所」で石炭運搬用に使われていたのを昭和9年に同校が教材用として当時の金で60円で買った。26年秋の運動会で走ったのを最後に、校門わきで雨ざらしになっていた。ことし1月から、60周年記念事業としてSLを走らせようと、機械科の中野雅行数論(40)ら先生3人と生徒たちが9カ月の月日と材料費80万円をかけて修復、記念式に花を添えた。


S L30年ぶり黒煙(昭和56年10月10日 「朝日新聞」より)

軽便蒸気機関車の“再生”をすすめていた山口県下松市の県立下松工業高校(竹中清校長)グランドに9日、85メートルのレールが敷かれ、30年ぶりに復活したSLが急造の客車1両を引いて走った。在校生やOBら約300人が小さな旅を楽しんだ。
 横間粛は、米国・ボールドウィン社製を模した東京小石川造船所(現石川島播磨重工)製、昭和9年、徳山市の旧海軍燃料廠から同校が教材用に譲り受けた。26年から運転中止していたが、創立60周年を記念して先生や生徒たちが8カ月がかりで修復した。
 鉄道史研究家の臼井茂信さん(62)=千葉市在住=の調査では、ゲージ(軌問)が76センチしかないところから「軽便」と呼ばれる。


・30年ぶりに下工弁慶号走る
  
        (昭和56年10月10日 「毎日新聞」より)
 実習用SLを整備 下松工高創立60周年きっかけにグランドに
  懐かしの汽笛が30年ぶりに。拍手のなか下工弁慶号が走った!

・・・下松市の県立下松工高(竹中清校長、869人)は9日、創立60周年の記念式典をあげ、戦後まもないころまで実習用に使われていたSLが、解体、整備されて見事に復活、同窓生や教職員職、生徒らを喜ばせた。
 同校は大正10年開校で、県内では宇部工とともに古い歴史を持つ工業高校の名門。12,500人の卒業生は、各界で活躍している。
 午前10時から体育館で開かれた記念式典には平井知事、井上県教育長、藤田下松市長ら来賓、同窓会下松工業会の藤井軍治会長、元同校教職員、PTA会員ら約300人が全校生徒とともに出席、竹中校長のあいさつ、知事ら来賓の祝辞、在校生代表、重村宏幸君=電気科3年=のあいさつのあと、SL・下工弁慶号の整備、点検作業から試走、成功に至るまでを追った8ミリ映画が上映された。
 午前11時半から、グランドで、弁慶号の試乗会。明治40年、石川島播磨造船所で造られた動輪ニ軸で、高さ2.5メートル、幅1.5メートル、長さ3.5メートルのミニSL.。徳山市の海軍練炭製造所で使われたあと、昭和9年から同校に移り生徒の実習用に使われてきた。26年秋、マキをたいて走ったのを最後に、正門わきに展示されたままになっていた。
 それを「OBの要望もあり、60周年を機会にもう一度走らせよう」と、今年3月から、機械科の中野雅行教諭(38)ら4人が中心となり、整備を進めてきた。風雨にさらされサビついた車体を点検、穴の空いていた煙管や安全弁、それにそれにバルブ、ボルトなどは新たにつくり、12人乗り客車も新造して“本番”に備えた。
 ピカピカに新しくなったSLは、グランドに敷かれた85メートルのレールの上を黒い煙、白い蒸蒸気を吐き、汽笛を鳴らしてOBや生徒達を乗せて何回も走った。
 「まさか、またあの弁慶号が走るなんて・・・。懐かしいです。」OB1人、市川五郎さん(54)=下松市花岡=は感慨探そう。鉄道唱歌が流れるなか、走るSLに隣接の公集小学校1年児童たちも、授業時間に先生と一緒に歓声をあげて見守っていた。
 出席者たちは「これはいい記念になる」とカメラを向けていたが関東方面からの熱心なSLマニアも見られた。前橋市元総社町から、駆けつけた会社員、後閑初夫さん(36)は、8ミリカメラを手に「来てよかった。古い、小さなS Lが走る姿をフィルムに収めることができて」と満足そうだった。
 10日は、全国から卒業生が集まって記念同窓会が開かれ、正午過ぎからこの弁慶号がまた走る。
 SL弁慶号は、このあと正門わきに、風雨をさけるよう工夫して保存されることになっている。


・知事もニッコリ

9日、県立下松工高の運動場で公開運転された軽便蒸気機関車「下工弁慶号」の乗客第1号は平井龍知事だった。機関車につながれた客員12人の“特別客車”の座席は木製。決して座り心地のよいものではなかったが、用意されたススよけの作業衣を着込んで乗り込み「温故知新。いいですね。生きた教育の原点です」と、しごくご満悦だった。
この日、平井知事は同校の創立60周年記念式典にのみ出席の予定だった。が「先生と生後たちが協力して復活させた蒸気機関車」という話を聞き、「協力のたまものを見せてほしい」ということになった。同行の伊東章二秘書も「少々のスケジュールの狂いは目をつぶらねば・・・いい話ですから」。

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